陸抗りくこう 字・幼節
敵将と酒を酌み交わした、傾く国の最後の砦
人物
陸抗は陸遜の次男で、父が孫権に責められて憤死したとき二十歳だった。父の汚名を晴らすため孫権に堂々と弁明し、孫権はのちに涙を流して詫びたという。孫皓の暴政で国が傾くなか、陸抗は荊州の守りを一身に背負った。国境を挟んだ晋の将軍は羊祜である。二人は戦うべき敵でありながら互いを深く敬い、陸抗が病むと羊祜は薬を贈り、陸抗は毒を疑わずに飲み干した。「羊祜に毒を盛る心があるものか」。陸抗からは酒を贈り、羊祜もまた安心して飲んだ。こうして国境には奇妙な平和が保たれ、晋は陸抗が生きている限り呉を攻めなかった。孫皓はこれを快く思わず、陸抗を疑って権限を削った。西陵で歩闡の反乱と晋の援軍を同時に抑え込んだ手腕は、父に劣らぬ名将の証しである。四十九歳で没し、その六年後、呉は滅びた。
名場面
酒と薬の信頼
国境を挟んで向かい合う陸抗と羊祜は、戦わずして互いを認め合っていた。陸抗が病に倒れたと聞くと、羊祜は使者に薬を持たせて送った。部下たちは「敵の薬を飲んではなりません」と止めたが、陸抗は「羊祜は人を毒殺するような男ではない」と言って飲み干し、病は癒えた。陸抗は返礼に美酒を贈り、羊祜もまた躊躇なく飲んだ。殺し合うはずの二人が交わした信頼は、乱世の末期を照らす灯のようであった。
西陵の大勝
西陵の守将・歩闡が晋に寝返り、晋は三方向から援軍を送って陸抗を挟み撃ちにしようとした。陸抗は西陵を直接攻めず、包囲の外側にさらに長い壁を築いて晋の援軍を遮り、江陵へ向かう晋軍にはわざと堤を切って水路を断った。部下は「無駄な土木だ」と反対したが、陸抗は動じない。やがて晋軍は手も足も出ずに退き、陸抗は西陵を落として歩闡を斬った。少数の呉軍で大国の晋を撃退した、呉最後の輝かしい勝利であった。
届かなかった諫言
陸抗は幾度も孫皓に上表した。国境を守る兵は少なく、宮中の贅沢は過ぎている、賢臣を遠ざけるのをやめ、晋に備えよ、と。だが孫皓は耳を貸さず、むしろ陸抗が羊祜と親しいことを疑って問い詰めた。陸抗は「一つの村でさえ信義なくしては立ちません。まして大国においてをや」と答え、孫皓は何も言えなかった。陸抗が世を去ると、晋はただちに呉攻めの準備を始めた。彼こそが、呉を支えていた最後の柱だった。
「一つの村でさえ信義なくして立たぬ。まして国においては、なおさらだ」
正史ではどうだった?
正史でも羊祜との信義の交わりと西陵の勝利は特筆され、陸抗は呉で最後の名将と称される。演義の記述はおおむね正史に沿う。陸抗の死後、晋の杜預らが呉を攻め、二八〇年に滅亡した。父子二代で呉の国を支え続けた点でも特異な存在である。