三三国志 英雄図鑑
魏野心に滅んだ若き俊才

鍾会しょうかい 字・士季

蜀を滅ぼし、蜀で死んだ。才あまりて徳足らず

225年〜264年(享年39)#軍師#蜀討伐#野心家#反乱
統率武力知力政治魅力8055927564

人物

魏の重臣・鍾繇の末子。幼い頃から神童と呼ばれた。長じて司馬師・司馬昭の側近となり、淮南の反乱鎮圧でも策を出して「わが子房」と称されるほど重用される。263年、司馬昭が蜀討伐を決めると、朝臣の多くが反対するなか鍾会だけが賛同し、主力十余万を率いる総大将に任じられた。漢中を陥とし、剣閣で姜維と対峙するが、天下の険は破れない。その間に鄧艾が陰平道から成都を落とし、功を横取りされた形となった。鍾会は鄧艾を讒言して捕らえさせ、蜀の全軍を掌握する。そして降伏してきた姜維の言葉に乗り、蜀の地で独立して天下を狙う野望を抱いた。だが司馬昭自身の出陣に動揺して性急に事を起こし、魏の諸将を幽閉したところで部下の兵が反乱。鍾会は乱戦のなかで殺され、姜維も自害した。才が徳をはるかに上回った男の末路であった。

名場面

1

剣閣の前で

漢中を抜いた鍾会の大軍は、剣閣で姜維に止められた。切り立った崖の間の一本道を、蜀軍は固く守る。攻めあぐねて兵糧も乏しくなり、鍾会は撤退を考え始めた。そこへ届いたのは、鄧艾が陰平道を越えて成都に迫っているという知らせである。鍾会は驚き、そして嫉妬した。やがて劉禅の降伏命令が姜維のもとに届き、剣閣は開く。鍾会は無傷で蜀に入ったが、心にはすでに鄧艾への憎しみが宿っていた。

2

姜維の誘い

降伏した姜維を、鍾会は賓客として迎え、同じ車に乗り、同じ席に座った。姜維は鍾会の野心を見抜き、巧みに囁く。「鄧艾を除き、蜀の地を手にして将軍自ら立てば、天下を取れましょう」。鍾会はこの言葉に酔った。偽の手紙で鄧艾を陥れ、檻車に乗せて洛陽へ送らせると、成都の全軍は鍾会の手に落ちる。だが姜維の真の狙いは、鍾会を使って魏軍を内側から潰し、蜀を再興することであった。

3

成都の乱

司馬昭が自ら長安に進んだと知り、鍾会は追い詰められた。魏の諸将を宮殿に集めて幽閉し、郭太后の遺詔と称して司馬昭討伐を宣言する。姜維は「従わぬ将をすべて殺せ」と勧めたが、鍾会は迷った。幽閉された将の一人が外の部下に知らせ、魏兵は「鍾会が我らを皆殺しにする」と信じて宮殿に押し寄せた。鍾会は乱兵の矢に倒れ、姜維は自ら剣を取って戦い、力尽きて自害する。蜀を滅ぼした英才は、四十歳でその蜀の都に屍を晒した。

「事成れば天下を得、成らずとも蜀に拠って劉備とならん」

鍾会

正史ではどうだった?

正史でも神童と呼ばれ、司馬昭の腹心として蜀討伐の総大将となり、鄧艾を讒言し、姜維と結んで反乱を起こして殺されたことは演義とほぼ同じ。父の鍾繇は魏の名臣で書家としても名高い。鍾会自身も学問に優れ、「老子」の注釈などを著したと伝わる。