第28章魏の内紛と司馬一族の台頭
曹叡の死後、魏では曹爽と司馬懿が対立。高平陵の変で司馬一族が実権を握り、呉と蜀にも衰えの影が差す。
諸葛亮の死で蜀の脅威が薄れると、魏の皇帝・曹叡は豪奢な宮殿造りに溺れた。彼は三十代半ばで病に倒れ、幼い養子・曹芳を後継に立てて、一族の曹爽と重臣・司馬懿のふたりに補佐を託して世を去った。かつて祖父・曹操が「司馬懿は狼のように振り返る相。油断するな」と言い残した、その男に。
曹爽は名門の御曹司で、取り巻きとともに実権を独占し、司馬懿を名ばかりの太傅に祭り上げた。司馬懿は病と称して屋敷に引きこもる。様子を見に来た曹爽の腹心の前で、司馬懿は粥をこぼし、「荊州」を「并州」と聞き違えるふりをした。「老いぼれは、もう長くない」。曹爽は安心して、若い皇帝とともに先帝の墓・高平陵へ参拝に出かけた。
正始十年正月、その留守を司馬懿は待っていた。七十歳の老人は床から跳ね起き、息子の司馬師・司馬昭とともに城門を閉じ、武器庫を押さえ、皇太后の名で曹爽の罷免を宣告した。「兵権を返せば、爵位は保証する」。曹爽は一晩中悩んだ末、「富豪として余生を送れれば十分だ」と降伏した。だが数日後、曹爽一族は謀反の罪で皆殺しにされる。魏の実権は、ここに司馬一族のものとなった。
二年後、司馬懿は世を去った。蜀の軍師たちが命を削って挑み続けたこの男は、戦場ではなく寝所で、七十三歳の天寿を全うした。後を継いだ司馬師、そして弟の司馬昭は、皇帝を傀儡として廃立し、父以上に露骨に権力を固めていく。
一方、呉でも暗い影が差していた。晩年の孫権は、皇太子・孫和と弟・孫覇のどちらを後継にするかで朝廷を二分させ、群臣が二派に分かれて争った。夷陵の英雄・陸遜は太子を支持する上奏を重ねたが、孫権は使者を送って叱責し続け、陸遜は憤りのうちに病死する。孫権は結局、皇太子を廃し、孫覇に自害を命じ、幼い末子を立てた。かつての名君の晩節は、呉の国を内側から蝕んだ。
蜀では諸葛亮の遺志を継いだ蒋琬、費禕が守りを固め、無理な遠征を避けて国力を養った。姜維は北伐を志したが、費禕は「われらは丞相に遠く及ばぬ。国を保つことを考えよ」と、兵を一万以上は預けなかった。三国はそれぞれ、英雄たちの時代の余熱で保たれているに過ぎなかった。