徐盛じょせい 字・文嚮
偽の城壁で曹丕を追い返した、守りの名人
人物
徐盛は琅邪の人で、戦乱を逃れて江東に渡り、孫権に仕えた。少ない兵で黄祖の息子の大軍を退けたことで頭角を現し、赤壁では丁奉と組んで曹操の退路を追い、南郡攻めや濡須の守りでも働いた。彼の真価は守りにある。曹丕が皇帝となって大軍を率い、長江を渡って呉を攻めようとしたとき、徐盛は一夜にして長江の岸に数百里の偽の城壁を立てた。竹と葦で骨を組み、布を張って城に見せかけ、川には無数の船を浮かべた。曹丕は対岸にそびえる城壁を見て「呉にこれほどの人材がいるのか」と嘆き、兵を引いた。演義では丁奉と並んで登場する場面が多く、二人は呉の中堅世代を代表する名コンビだ。また、孫権が魏の使者に膝を屈するのを見て悔し涙を流し、「殿にこのような屈辱を味わわせるとは、われらの恥だ」と叫んだという。気骨の将であった。
名場面
一夜の偽城
曹丕が数十万の軍で長江に迫ったとき、諸将は震えたが、徐盛は平然と策を述べた。「お任せあれ。魏の兵は一人も川を渡らせませぬ」。彼は兵たちに葦と竹を刈らせ、布を張って偽の城壁と櫓を作らせた。一夜明けると、対岸には数百里にわたって城がそびえ、旗が翻り、兵が往来している。曹丕は龍の舟の上から眺めて嘆息し、「呉にはまだこれほどの人物がいる」と引き返した。退く魏軍を、徐盛と丁奉が追い打ちにかけた。
主君の屈辱に泣く
夷陵の戦いの前、劉備と曹丕の両方を敵に回したくない孫権は、魏に臣従の礼をとった。魏の使者・邢貞が傲然と車に乗ったまま城門をくぐると、徐盛は同僚たちの前で涙を流して叫んだ。「われらが命を捨てて魏を攻め、蜀を併せることができぬから、殿にこのような辱めを受けさせるのだ」。邢貞はこれを聞いて、呉はまだ屈していないと悟ったという。
「われら臣下の力が足りぬゆえ、殿にこのような辱めを受けさせるのだ」
正史ではどうだった?
正史でも偽城による曹丕撃退は記録され、徐盛の知略を示す逸話として知られる。邢貞への涙の抗議も史実。演義では丁奉との同道が多いが、二人が実際に組んだ戦いの記録はさほど多くない。没年は不明だが、曹丕退却の数年後に没したとされる。