曹真そうしん 字・子丹
諸葛亮と司馬懿、二人の天才の間で奮闘した宗室の将
人物
曹操の一族で、父が曹操のために命を落としたため、曹操は彼を実子同然に育てた。曹丕の代には上軍大将軍として軍の中枢を担い、曹丕の臨終では司馬懿・陳羣らとともに曹叡の補佐を託された。諸葛亮の北伐が始まると、大都督として迎え撃つ。しかし第一次北伐では趙雲に翻弄され、第二次の陳倉では郝昭の守りに救われるなど、諸葛亮相手に苦戦を重ねた。やがて司馬懿が復帰して軍の指揮を分担するようになると、曹真は功を焦る。231年、蜀を攻めようと大軍を率いて子午道へ進むが、一か月続く長雨に阻まれて撤退。その直後、諸葛亮から届いた嘲弄の手紙を読んで激怒し、病が重くなって陣中で没した。演義では司馬懿の引き立て役に回りがちだが、魏の宗室を代表して最前線に立ち続けた将である。
名場面
諸葛亮の手紙
子午道から蜀を攻めた曹真は、長雨で道が崩れ、兵糧も尽きて退却を余儀なくされた。失意の床に伏す彼のもとに、諸葛亮からの書状が届く。そこには「大将軍ともあろう者が雨に負けて逃げ帰るとは、将の道を知らぬ」といった嘲りの言葉が連ねてあった。曹真は読み終えるや怒りで胸をふさぎ、血を吐いて倒れ、ほどなく世を去る。諸葛亮が筆で敵将を討った場面として知られるが、真っすぐな性格ゆえの最期でもあった。
司馬懿との約束
諸葛亮が祁山に出た時、曹真と司馬懿はそれぞれ軍を率いて陣を張った。司馬懿が「蜀軍はまず祁山に出る」と見通しを述べると、曹真は「来るものか」と言い張り、二人は賭けをする。負けたら頭に紅を塗って女の衣を着るという子どもじみた約束である。結果は司馬懿の読みどおりで、曹真は面目を失った。宗室の大将軍としての誇りと、司馬懿への対抗心。それが彼を無理な遠征に駆り立てていくのである。
「蜀兵が祁山へ出るか否か、賭けようではないか」
正史ではどうだった?
正史では諸葛亮の第一次北伐を街亭で破った総指揮官であり、第二次北伐も陳倉で防いだ実力者。演義のように司馬懿に出し抜かれる描写はなく、死因も病死である。諸葛亮の手紙で憤死した話は演義の創作で、実際の曹真は部下思いで慕われた将であった。