第25章出師の表と街亭の失敗
出師の表を奉って北伐に出た諸葛亮。だが街亭で馬謖が山に陣取って大敗し、泣いて馬謖を斬る。
建興五年、諸葛亮は北伐に先立ち、若き皇帝・劉禅に一通の上奏文を捧げた。「先帝、創業いまだ半ばならずして中道にして崩殂す」。亡き劉備の恩に報い、漢室を再興するために命を賭ける決意を、若い君主への細やかな助言とともに綴った文である。後世の人は言った。「出師の表を読んで泣かぬ者は忠臣でない」。諸葛亮は涙を拭き、漢中へ向かった。
北伐の軍は祁山へ進んだ。老将・趙雲が先鋒として魏の五将を討ち取り、天水郡では若き武将・姜維が諸葛亮の計を見破って驚かせた。「この若者を得たい」。諸葛亮は姜維の母を礼で遇し、進退窮まった姜維を降伏させる。「わしは平生学んだ兵法を伝える者がいなかった。今日、ようやく見つけた」。後に蜀を背負う男との出会いであった。
魏の皇帝・曹叡は驚いて、追放していた司馬懿を呼び戻し、歴戦の名将・張郃を先鋒に大軍を送った。諸葛亮は要衝・街亭を押さえる必要に迫られる。志願したのは馬謖であった。頭脳明晰で諸葛亮の信頼篤かったが、劉備は死に際に「馬謖は言葉が実を上回る。重く用いてはならぬ」と告げていた。諸葛亮は堅実な王平を副将につけ、「街道に陣を築き、水を確保せよ」と念を押して送り出した。
だが馬謖は街亭に着くと、街道ではなく山の上に陣を敷いた。「高きに拠って低きを見るは兵法の常道」。王平が「水を断たれれば終わりです」と諫めても聞かない。張郃は山を取り囲んで水路を断ち、火を放った。渇いた蜀軍は崩れ、馬謖は命からがら逃げ出す。王平だけが千人の兵で太鼓を打ち鳴らし、伏兵を装って張郃をためらわせ、整然と退いた。
街亭が落ちれば、諸葛亮の本陣は裸同然となる。西城にいた諸葛亮の手元には老弱の兵二千余り。そこへ司馬懿の十五万が迫った。諸葛亮は城門を開け放ち、城楼で香を焚いて琴を弾いた。司馬懿は城下で馬を止めた。「あの男が無防備でいるはずがない。伏兵だ」。彼は退却を命じ、諸葛亮は汗を拭いて漢中へ退いた。空城の計である。
漢中に戻った諸葛亮は、軍法に従って馬謖を斬った。「わしが人を見る目を誤ったのだ」。首が届けられると、諸葛亮は顔を覆って泣いた。自らも丞相の位を三段階下げた。第一次北伐は、こうして苦い幕を閉じた。