三三国志 英雄図鑑
蜀蜀の鎮北大将軍

王平おうへい 字・子均

字は読めずとも戦は知る、街亭の良識

?〜248年#街亭#漢中防衛#堅実#叩き上げ
統率武力知力政治魅力8574726065

人物

巴西宕渠の人。はじめ曹操に仕えて漢中の戦いに従ったが、徐晃に意見して容れられず、劉備に降った。字も読めず、知っている文字は十ほどしかなかったが、戦場の地形を見る目は確かだった。街亭の戦いでは馬謖の副将として従い、「水のない山上に陣を張るべきではない」と何度も諫めたが聞き入れられず、やむなく別に陣を構えて敗残兵を収容した。この働きが諸葛亮に認められ、以後、北伐の中核を担う将となる。諸葛亮の死後は漢中の守りを任され、二四四年に魏の曹爽が十万の大軍で攻め寄せたときには、わずか三万で興勢山に拠って撃退し、蜀を救った。学問はなくとも道理をわきまえ、兵を厳しく律した。地味だが、蜀の末期を支えた名将である。

名場面

1

街亭の諫言

馬謖が水のない山頂に陣を張ろうとしたとき、王平は「ここは街道を押さえる地。山に登れば水を断たれて囲まれる」と諫めた。馬謖は「兵法に死地に置いて後に生くとある」と取り合わない。王平は「ならば私に五千を割いて山の麓に陣を張らせてほしい」と願い、別働隊を率いた。張郃が水を断ち、蜀軍が崩れると、王平の陣だけが踏みとどまった。

2

太鼓で張郃を欺く

街亭が崩れたあと、張郃は王平の小陣に殺到した。だが王平は陣を固く閉じ、太鼓を打ち鳴らして進軍の構えを見せる。伏兵を恐れた張郃は攻めあぐね、その間に王平は敗残兵を整然と収容して退いた。諸葛亮は王平だけを「唯一の功労者」として参軍に昇進させ、馬謖の処刑と対照的な処遇で全軍に示した。

3

興勢山の防衛

諸葛亮の死から十年、魏の曹爽が十万の大軍で漢中に攻め込んだ。守兵はわずか三万。諸将が「城に籠もって援軍を待とう」と言うなか、王平は「援軍は遠い。興勢山の険を先に押さえねば、敵に漢中へなだれ込まれる」と反対して山上に拠った。曹爽軍は谷で進退に窮し、兵糧が尽きて撤退。蜀は王平の判断で守られた。

「字は読めずとも、戦の道理は知っております」

王平

正史ではどうだった?

正史の王平も街亭で馬謖を諫め、敗戦後に兵をまとめて撤退した功で昇進した。文字を十ほどしか知らないが、人に書を読ませて要点を外さなかったという記述も正史にある。興勢山で曹爽を撃退したのも事実。ただし諫言に対して馬謖が「死地」の兵法を持ち出した場面は演義の脚色である。