三三国志 英雄図鑑
第4部 諸葛亮の北伐・222〜223年

第23章夷陵の戦いと白帝城の託孤

義弟の仇を討たんと劉備は呉へ攻め込むが、陸遜の火攻めに大敗。白帝城で諸葛亮に後事を託す。

舞台:閬中・夷陵・猇亭・白帝城

関羽の死を知った劉備は、三日三晩泣き続けた。「わが弟を殺した孫権を討たずして、皇帝の位に何の意味があろう」。諸葛亮も趙雲も諫めた。「国賊は曹丕であって孫権ではありません。魏を討てば呉はおのずと従いましょう」。だが劉備は聞かなかった。閬中にいた張飛も、兄の仇討ちに喪服で出陣しようと、部下に三日で白い旗と鎧を揃えよと命じた。

それが張飛の命取りとなった。期限に間に合わぬと鞭で打たれた部下の范彊と張達は、酔って眠る張飛の寝所に忍び込み、その首を取って呉へ逃げた。劉備のもとへ「閬中より急使」と告げられたとき、劉備は「翼徳が死んだのか」と言って倒れたという。桃園で誓った三人のうち、残ったのは劉備ひとりであった。

章武二年、劉備は七十万と号する大軍で東へ向かった。関興と張苞、それぞれ関羽と張飛の遺児が先鋒を務め、父の仇を次々と討ち取る。老将・黄忠は「老いぼれ」と言われたのを気にして単騎で敵陣に突っ込み、矢を受けて陣中で没した。呉では孫権が若い陸遜を総大将に任じる。「書生に何ができる」と呉の宿将たちは不満を鳴らしたが、陸遜は守りを固めて一切動かなかった。

夏が来た。暑さに苦しむ蜀軍は、川沿いの林の中に七百里にわたって陣営を連ねた。知らせを聞いた魏の曹丕は笑った。「林の中に陣を連ねるとは、兵法を知らぬ。劉備は負ける」。陸遜も同じことを考えていた。乾いた風の夜、呉の兵が一斉に火を放つ。炎は営から営へ走り、蜀の大軍は一夜で崩れた。劉備は趙雲の救援でかろうじて白帝城へ逃れる。陸遜は追撃の途中、諸葛亮が川辺に石を積んで残した八陣図に迷い込み、深追いを止めて引き返した。

白帝城で病に伏した劉備は、成都から諸葛亮を呼んだ。「丞相の才は曹丕の十倍。わが子・劉禅が補佐するに足るなら補佐してほしい。足らぬなら、君が自ら成都の主となれ」。諸葛亮は床に伏して泣いた。「臣は股肱の力を尽くし、忠貞の節をもって死ぬまで続けます」。劉備は劉禅への遺言を残した。「小さな悪だからといって行ってはならぬ。小さな善だからといって怠ってはならぬ」。章武三年四月、劉備は六十三歳で世を去った。筵を売っていた若者が、ここまで駆け抜けた乱世の旅路であった。

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