張苞ちょうほう
蛇矛を受け継いだ、張飛の血気の息子
人物
張飛の長男。父が部下の范彊・張達に暗殺され、二人が首を持って呉に逃げたと知るや、成都へ駆けつけて劉備に仇討ちを願い出た。夷陵の戦いでは関興と先鋒を争い、劉備の取りなしで義兄弟となって兄分となる。父譲りの蛇矛を振るい、呉将を次々と討ち、父を殺した范彊・張達が呉から送り返されてくると、自らの手で首を刎ねて父の霊前に供えた。諸葛亮の北伐でも関興と並んで若手の双璧として活躍し、魏の将を幾人も討ち取る。しかし第三次北伐の途上、敗走する魏軍を追って谷へ落馬し、頭を打って成都へ送り返された。やがて死去の報が届くと、諸葛亮は号泣して吐血し、病に伏したと伝わる。短い生涯ながら父の豪勇を受け継いだ、頼もしい若武者である。
名場面
父の仇、范彊と張達
張苞が待ち焦がれた日がきた。劉備の東征を恐れた孫権が、張飛の首とともに逃げ込んでいた范彊・張達を縛って送り返してきたのだ。張苞は二人を引き据え、泣きながら父の霊前に供えて自らの手で首を刎ねた。だが劉備は「孫権の謝罪は受けぬ。関羽の仇は討つ」と、和睦の使者を追い返した。
関興との先鋒争い
夷陵の出陣で、張苞は「先鋒はわれに」と名乗り出た。関興も譲らない。二人は劉備の前で弓を射、槍を合わせて実力を競う。どちらも互角で、言い争いは殴り合いになりかけた。劉備は二人の父が桃園で結んだ義を説き、「子もまた兄弟であれ」と諭す。張苞が兄、関興が弟となり、以後は命を預け合う仲となった。
谷への落馬
第三次北伐、張苞は敗走する魏将の郭淮・孫礼を追って山道を駆けた。あまりに勢いがついて、馬が谷縁で足を踏み外し、人馬もろとも転落する。頭を岩に打ちつけた張苞は成都に運ばれたが、やがて死去の知らせが陣に届いた。諸葛亮はこれを聞いて口から血を吐き、気を失って倒れ、北伐は一時中断を余儀なくされた。
「父の仇を討たずして、蛇矛を手にする資格はない」
正史ではどうだった?
正史の張苞については「早世した」と一行記されるのみで、夷陵の戦いにも北伐にも参加していない。張飛の跡を継いだのは弟の張紹である。関興との義兄弟や落馬死の話は、桃園の義を次代に引き継がせるための演義の創作だ。