賈詡かく 字・文和
一言で天下を乱し、一言で身を守った稀代の策士
人物
涼州武威の人。董卓の配下にいたが、董卓が殺されて李傕・郭汜らが逃げ散ろうとした時、「逃げれば捕まるだけ。長安を攻めて王允を討て」と進言し、これが長安を再び地獄に変えた。賈詡は乱れた都を見て自らの罪を悟り、李傕らを見限って去る。次に張繡の軍師となると、宛城で曹操に偽りの降伏をして夜襲をかけ、典韋と曹昂を討ち取った。だが官渡の直前、袁紹の誘いを断って張繡に曹操への降伏を勧め、曹操は過去の恨みを忘れて二人を迎えた。以後は曹操の謀臣として官渡、潼関で活躍し、潼関では馬超と韓遂の仲を裂く離間の計で西涼軍を崩壊させる。後継者問題では曹丕を支持しつつ、曹操に「袁紹と劉表のことを考えておりました」と答えて暗に長子相続を勧めた。曹丕の代に太尉となり、七十七歳まで生き延びた。
名場面
長安を乱す一言
董卓が王允と呂布に殺され、李傕・郭汜ら涼州の将は兵を捨てて故郷に逃げようとした。賈詡は言った。「兵を捨てて逃げれば村の役人にも捕まる。それより兵を集めて長安を攻め、董卓の仇を討つべし。成功すれば天下を取れ、失敗してから逃げても遅くはない」。李傕らは奮い立って長安を陥とし、王允は殺され、呂布は逃げ、献帝は再び囚われの身となった。賈詡の一言が漢の再興の芽を摘んだのである。
負けた後に追え
宛城の張繡を攻めていた曹操が急に兵を引いた。張繡は追撃しようとしたが、賈詡は「追えば必ず負けます」と止める。張繡は聞かずに追い、大敗して戻ってきた。すると賈詡は「今度は負けた兵で追いなさい。必ず勝ちます」と言う。張繡が半信半疑で追うと、曹操軍は見事に崩れた。「どういうことだ」と問う張繡に賈詡は答えた。「初めは曹操自ら殿軍を固めていた。追撃を破った後は油断して先を急いでいたのです」。
離間の計
潼関で馬超・韓遂の西涼軍に苦しむ曹操に、賈詡は一計を献じた。まず韓遂と陣前で親しげに昔話をし、馬超に疑念を植えつける。次に韓遂へ手紙を送るが、肝心な箇所を墨で塗りつぶして書き直したように見せかけた。手紙を見た馬超は「韓遂が証拠を消した」と疑い、韓遂は「曹操がわざと塗った」と弁明する。疑いは晴れず、ついに馬超が韓遂の腕を斬り落として西涼軍は崩壊した。
袁紹と劉表のこと
曹丕と曹植のどちらを後継にすべきか、曹操は人払いをして賈詡に尋ねた。賈詡は黙ったまま答えない。曹操が「なぜ黙っている」と問うと、賈詡は言った。「袁紹と劉表のことを考えておりました」。どちらも末子を可愛がって家を滅ぼした男である。曹操は大笑いし、曹丕を太子と決めた。はっきりと言わず、しかし誰よりも明確に答える。曹丕はこの恩を忘れず、即位後に賈詡を三公の太尉に任じた。
「袁本初と劉景升の父子のことを考えておりました」
正史ではどうだった?
正史でも李傕への進言、張繡の軍師としての活躍、曹操への帰順、潼関の離間策、後継問題での発言はほぼ記録通り。曹操・曹丕に仕えながら目立たぬよう振る舞い、子の縁談も名家を避けて身を守ったと伝わる。「毒士」の呼び名は後世のもので、正史には見えない。