三三国志 英雄図鑑
群雄董卓の残党の頭目

李傕りかく 字・稚然

長安を再び血に染めた、董卓の忘れ形見

?〜198年#西涼#董卓の残党#長安
統率武力知力政治魅力6575402015

人物

董卓配下の武将で、董卓の死後に長安を再び混乱に陥れた男である。董卓が呂布に討たれたとき、李傕は郭汜・張済・樊稠とともに陝に駐屯していた。王允に赦免を願い出たが拒まれ、逃げようとしたところへ、賈詡が「逃げれば亭長にでも捕まる。それより長安を攻めて董公の仇を討ち、うまくいけば朝廷を握れる」と進言した。李傕らは十余万の兵で長安を攻め、呂布を追い払い、王允を殺して朝廷を乗っ取った。その後は献帝を手中にして官位を思うままにしたが、やがて郭汜と仲違いし、李傕が献帝を、郭汜が百官を人質にして長安で殺し合いを始める。献帝はこの混乱の中で東へ逃れ、曹操の保護を受けることになった。頼みの綱であった賈詡にも見捨てられ、李傕は曹操の命を受けた段煨らに討たれて三族皆殺しにされた。董卓の暴政を引き継いだ粗暴な男である。

名場面

1

賈詡の一言で長安へ

董卓が死んだとき、李傕らは王允に使者を送って赦免を願ったが、「董卓の一味は許さぬ」と拒まれた。軍を解散して故郷へ逃げようと相談していたところ、賈詡が進み出た。「軍を捨てて逃げれば、亭長一人に縛られる身だ。それより西涼の兵を集めて長安を攻めよ。成功すれば天下を握れるし、失敗してから逃げても遅くはない」。李傕はこの言葉に従い、長安を落として王允を殺した。一言が、漢王朝の息の根を止める大乱を呼んだ。

2

献帝を人質に

朝廷を握った李傕と郭汜は、やがて互いを疑い始めた。李傕は兵を率いて宮中に押し入り、献帝と皇后を自分の陣営に連れ去った。郭汜は対抗して百官を捕らえ、二人は長安の街中で連日殺し合い、宮殿は焼け、民は餓死し、都はまた廃墟となった。献帝は「漢の天子たるわしが、賊の陣で寝起きせねばならぬのか」と涙を流した。この混乱に乗じて献帝は東へ逃れ、曹操に迎えられることになる。李傕こそ、曹操に天子を渡した張本人である。

「董公の仇を討ち、長安を奪い返すのだ」と兵を励ましたと伝わる

李傕

正史ではどうだった?

正史でも賈詡の進言で長安を攻め、王允を殺し、郭汜と争って献帝を東へ逃がし、最後は曹操の命で討たれた点はほぼ同じである。涼州北地郡の出身で、董卓軍の中では中堅の部将に過ぎなかった。献帝を擁した時期には羌族の兵を宮中に出入りさせるなど、朝廷の権威を地に落とした。