三三国志 英雄図鑑
群雄宛城の猛将

張繡ちょうしゅう

曹操に最大の痛手を与え、その後は従った北地の槍

?〜207年#宛城#賈詡#北地の槍王
統率武力知力政治魅力7080554055

人物

董卓配下の張済の甥で、張済の死後にその兵を継いで宛城に拠った武将である。賈詡を軍師に迎え、曹操が宛城に攻めてくるといったん降伏した。しかし曹操が張済の未亡人を側室にしたことに激怒し、賈詡の計を用いて夜襲をかける。油断していた曹操は典韋の捨て身の奮戦でかろうじて逃げたが、長男曹昂と甥の曹安民、そして典韋を失った。曹操が生涯で最も手痛い敗北である。その後も曹操は何度も宛城を攻めたが、賈詡の読みに支えられた張繡は持ちこたえ、安衆では曹操の伏兵を見抜いて勝利を収めた。官渡の戦いが近づくと、賈詡の勧めで袁紹ではなく曹操に降る。曹操は過去を水に流して張繡の手を取り、婚姻を結んで列侯に封じた。張繡は官渡で功を立て、袁家討伐にも従って北方まで転戦した。曹操を殺しかけた男が重臣となる、乱世ならではの縁である。

名場面

1

宛城の夜襲

降伏した張繡は、曹操が叔父の未亡人鄒氏を陣中に召し入れたと知って怒りに震えた。賈詡は「曹操の護衛典韋は酒に弱い。まず典韋を酔わせて双戟を盗み、夜更けに四方から火を放ちましょう」と策を授けた。寝込みを襲われた曹操は裸馬で逃げ、典韋は武器もなく営門で敵兵を素手で殴り倒しながら立ったまま死んだ。曹昂は父に馬を譲って討たれた。

2

曹操に降る

官渡を前に、袁紹と曹操の双方から使者が来た。張繡は仇敵の曹操ではなく袁紹につこうとしたが、賈詡が止めた。「袁紹は兄弟でさえ容れぬ男、人を容れられぬ。曹操は天子を奉じて大義があり、兵が少ないからこそ我らを重く用いる。恨みを捨てて降る我らを厚遇すれば、天下に度量を示せる」。張繡が曹操の陣を訪ねると、曹操は手を取って喜び、息子の曹均と張繡の娘を娶わせた。賈詡の読みどおりであった。

「叔父の妻を辱められて、黙っていられる男がいるものか」と怒ったと伝わる

張繡

正史ではどうだった?

正史でも宛城で曹操を夜襲して曹昂・典韋を討ち、賈詡の勧めで官渡の前に曹操に降り、厚遇されて北方遠征に従った点は同じである。死因については、北方遠征の途中で病死したとされるが、注には曹丕に曹昂の死を責められて自害したという説もある。北地の槍王という異名は後世の物語で付けられたものである。