三三国志 英雄図鑑
群雄白馬将軍

公孫瓚こうそんさん 字・伯珪

白馬の騎兵で異民族を震え上がらせた北辺の雄

?〜199年#白馬義従#北辺#劉備の同窓
統率武力知力政治魅力7882554565

人物

幽州の北辺を守り、白馬にそろえた精鋭騎兵「白馬義従」で異民族を震え上がらせた武人である。若い頃は劉備とともに盧植のもとで学んだ同窓で、劉備が世に出る足がかりをつくった恩人でもあった。反董卓連合に劉備・関羽・張飛を伴って参加し、虎牢関では自ら呂布と打ち合って危ういところを張飛に救われた。その後、冀州をめぐって袁紹と対立し、磐河の戦いでは文醜に追い詰められて趙雲に命を救われる。趙雲が最初に仕えた主君でもある。しかし界橋の戦いで麹義の弩兵に白馬義従を壊滅させられてからは勢いを失い、易京に高い楼閣と幾重もの堀を築いて籠もるようになった。部下を信じず、援軍を送らず、酒と女に溺れた公孫瓚は、袁紹の総攻撃を受けて妻子を殺した後、自ら楼に火を放って果てた。北の勇将のあまりにも寂しい最期であった。

名場面

1

磐河で趙雲に救われる

袁紹と磐河をはさんで対陣した公孫瓚は、文醜に追われて谷底へ転げ落ち、危うく討たれるところだった。そこへ一人の若武者が槍を手に駆けつけ、文醜と五、六十合も打ち合って退けた。これが趙雲との出会いである。公孫瓚は喜んで趙雲を軍に加えたが、やがて劉備とめぐり会った趙雲の心は劉備に傾いていく。北の勇将は、天下の名将をみすみす手放すことになった。

2

易京の炎

界橋で白馬義従を失った公孫瓚は、易京に十重二十重の堀と高さ十丈の楼閣を築き、三百万斛の兵糧を蓄えて立て籠もった。「天下の争いはこの米が尽きるまで見ていればよい」と言って外に出ず、救いを求める部下の城も見捨てたため、諸将の心は離れた。袁紹が地下道を掘って楼閣を崩すと、公孫瓚は妻子と姉妹を自ら手にかけ、楼に火を放って死んだ。白馬の将は、自ら築いた牢獄で燃え尽きた。

「天下の争いは、この米が尽きるまで見ていればよい」

公孫瓚

正史ではどうだった?

正史でも白馬義従で異民族を討ち、劉備の同窓であり、界橋で敗れて易京に籠もり自害した点は同じである。趙雲は実際に公孫瓚のもとで劉備と出会った。もともと寒門の出で、容姿と声の美しさで出世した人物とされ、名門出身者を嫌い、商人や占い師を側近にした変わり者でもあった。