諸葛瑾しょかつきん 字・子瑜
弟は蜀の丞相、兄は呉の重鎮。誠実一筋の外交官
人物
諸葛瑾は徐州琅邪の人で、あの諸葛亮の実の兄である。戦乱を避けて江東へ移り、魯粛の推挙で孫権に仕えた。穏やかで誠実な人柄は孫権から深く信頼され、長い顔立ちをからかわれても笑って受け流す度量があった。弟が劉備の軍師となってからも、兄弟はそれぞれの主君に忠を尽くし、私情を交えない。呉と蜀のあいだで荊州をめぐる争いが起きるたび、諸葛瑾は使者として劉備や関羽のもとへ赴いた。関羽に娘を孫権の息子へと縁談を持ちかけ、「虎の娘を犬の子にやれるか」と追い返されたのも彼である。それでも孫権は彼を疑わず、「子瑜はわしを裏切らず、わしも子瑜を裏切らない」と言った。晩年は大将軍にまで昇り、六十八歳で没した。ただし息子の諸葛恪は後に呉の政争で一族ごと滅ぼされ、諸葛瑾の心配は的中してしまう。
名場面
虎の娘と犬の子
荊州を取り戻したい孫権は、関羽の娘を自分の息子に迎えたいと持ちかけ、使者に諸葛瑾を選んだ。関羽は手紙を聞くなり目を怒らせ、「虎の娘を犬の子にやれるものか」と吐き捨てる。弟が蜀の丞相でなければ首を斬っていたと言われ、諸葛瑾は頭を抱えて逃げ帰った。この断り方が孫権を激怒させ、呂蒙の荊州奪取を後押しすることになる。諸葛瑾の一度の使者行きが、関羽の運命を大きく動かした。
ロバの顔とその息子
孫権の宴席で、一頭のロバが連れてこられ、額に「諸葛子瑜」と書かれた札がかかっていた。面長な諸葛瑾をからかったのだ。諸葛瑾が黙って笑っていると、幼い息子の諸葛恪が筆を取り、札に「之驢」と書き足した。「諸葛子瑜のロバ」である。孫権は手を打って笑い、そのロバを少年に与えた。父の温厚と息子の機知が対照をなす、呉の宮廷の名場面である。
兄弟、別々の主に
劉備が蜀を取ったころ、諸葛瑾は荊州の返還を求める使者として成都に向かった。弟の諸葛亮と久しぶりの再会である。演義では、諸葛亮が兄の前で泣いて劉備に荊州返還を願い、劉備が半分だけ返すと約束する場面が描かれるが、実際には関羽に突っぱねられて何も得られずに終わる。兄弟は公の場でだけ会い、私的には語らなかったと伝わる。互いの主君への忠が、兄弟の情より重かったのである。
「私は殿を裏切らず、殿もまた私を疑われぬ。それで十分でございます」
正史ではどうだった?
正史でも孫権に深く信頼された重臣で、弟とは公の場以外では会わなかったという記述がある。関羽への縁談の使者は演義の脚色が入るが、荊州返還の交渉を担ったのは事実。穏健な人柄で、孫権の晩年の荒れた政治にも諫言を続けた。