三三国志 英雄図鑑
群雄袁紹の名参謀

沮授そじゅ

すべて正しく、すべて退けられた袁紹の名参謀

?〜200年#軍師#袁紹配下#献帝奉戴#節義
統率武力知力政治魅力7035908270

人物

袁紹の参謀として、その覇業の設計図を描いた知恵者である。冀州の名士で、袁紹が冀州を手にすると「河北四州を平らげ、天子を迎えて諸侯に号令せよ」という壮大な戦略を献じた。四州の制覇は実現したが、肝心の献帝奉戴は郭図らの反対で退けられ、曹操に先を越される。官渡の戦いでは「兵は多いが鋭さでは曹操に劣る。持久して相手の兵糧を断て」と持久策を説き、顔良の起用に反対し、烏巣の守りを固めよと進言したが、ことごとく退けられ、軍権まで削られた。袁紹の大敗後、逃げ遅れて曹操に捕らえられた沮授は、「降らぬ、捕らえられただけだ」と叫んだ。曹操はその才を惜しんで厚遇したが、沮授は袁紹のもとへ逃げ帰ろうと馬を盗み、捕らえられて処刑された。曹操は「早く会えていたら天下は定まっていた」と嘆いたという。

名場面

1

天子を迎えよ

献帝が李傕らの争いを逃れて洛陽へ向かっていると聞いた沮授は、袁紹に進言した。「天子を迎えて鄴に都を置き、天子を奉じて諸侯に号令すれば、誰が逆らえましょう。今やらねば、必ず誰かが先にやります」。だが郭図らが「漢室は衰えた。天子を迎えれば何をするにも上奏が要り、かえって動きにくい」と反対し、袁紹は迎えを取りやめた。数か月後、曹操が献帝を許に迎えた。沮授の予言は、袁紹の最大の失策として現実になった。

2

降らぬ、捕らえられたのだ

官渡で袁紹軍が崩れたとき、沮授は逃げ遅れて曹操軍に捕らえられた。引き出された沮授は「沮授は降ったのではない、捕らえられただけだ」と叫んだ。曹操は旧知の間柄であったため「袁紹は愚かで君の策を用いなかった。わしと天下を定めようではないか」と誘ったが、沮授は「叔父と弟の命が袁紹の手中にある。早く殺してくれ」と拒んだ。曹操はそれでも殺さず厚遇したが、沮授は馬を盗んで袁紹のもとへ帰ろうとし、ついに斬られた。

「沮授は降ったのではない、捕らえられただけだ」

沮授

正史ではどうだった?

正史でも献帝奉戴を献策して退けられ、官渡では持久策と烏巣の守備強化を説いて聞かれず、捕らえられても降らずに処刑された点は同じである。官渡の前に袁紹が沮授の軍権を三分して郭図・淳于瓊に分け与えたことも記録にあり、袁紹陣営の内部分裂を象徴する人物であった。