廖化りょうか 字・元倹
黄巾から蜀滅亡まで、三国志の生き証人
人物
襄陽の人。はじめ黄巾賊の残党として山に籠もり、関羽の千里行で劉備の二人の夫人を救って従者を願い出たが、賊の身を気にした関羽に断られた。のちに荊州で関羽に仕え、主簿として重用される。関羽が麦城に追い込まれると、上庸の劉封・孟達へ救援を求めに走り、断られて地面に額を打ちつけて泣き叫んだ。関羽の死後、呉に降ったが、母を連れて脱走し、昼夜を問わず西へ逃げて劉備と再会。夷陵、南蛮、北伐と、蜀のあらゆる戦いに従軍し、北伐では司馬懿を追って兜を奪う武功を立てた。姜維の時代には右車騎将軍にまで昇り、「蜀に大将なく、廖化が先鋒となる」という言葉が示すとおり、老いてなお先陣を切った。黄巾の乱から蜀の滅亡までを見届けた、三国志の生き証人である。
名場面
関羽に断られる
五関を越えた関羽の一行を、山賊の杜遠が襲って二夫人を山寨へ連れ去った。これを知った同じ寨の頭目廖化は杜遠を斬り、夫人を関羽に返して従者となることを願い出る。だが関羽は「黄巾の残党を連れては劉備に顔向けできぬ」と断った。廖化は金品を差し出し、見送るしかなかった。この縁が、のちの忠義につながる。
上庸での哭訴
麦城に追い込まれた関羽は、廖化に上庸へ援軍を頼みに行かせた。廖化は包囲を突破して劉封と孟達に拝礼したが、孟達は「山城の兵で呉魏に当たれるか」と言い、劉封もそれに流された。廖化は地に額を打ちつけて泣き、何度も頼んだが聞き入れられない。やむなく成都へ向かう途上、関羽の死を知る。この恨みが、のちの劉封処刑につながる。
司馬懿の兜を奪う
北伐の陣中、鹵城の近くで廖化は魏の本陣へ切り込み、司馬懿を見つけて追った。司馬懿は林の中へ逃げ、廖化が迫ると東へ回って姿を消す。木に引っ掛かった金の兜だけが残されていた。廖化はそれを拾い上げ、諸葛亮に献上した。「司馬懿の兜」は蜀軍の士気を大いに高め、廖化は第一の功とされた。
「蜀中に大将なく、廖化が先鋒となる」(蜀の人材不足を嘆いた後世の言葉と伝わる)
正史ではどうだった?
正史の廖化は関羽の主簿で、荊州陥落後に呉に降ったが、死んだと偽って母を連れて脱出し、劉備のもとへ戻った話は正史に基づく。その後は宗預らとともに蜀末期を支え、右車騎将軍に至った。蜀滅亡の翌年、洛陽へ移される途上で病没。黄巾賊の残党という設定や司馬懿の兜の話は演義の創作である。